- ホーム
- 由緒と歴史
由緒
1889年(明治22年)の北海道炭鉱鉄道株式会社の設立ともに夕張炭山並びに鉄道敷設の安泰祈願のために当時の登川村夕張炭山字社光に神殿を築造したのが発祥といわれております。1894年(明治27年)に北炭社長高島嘉右衛門が「神社の向きが鬼門の方向にあたるので縁起が悪い」と現在地近くへ移転させ、「登川神社」と称しました。
1902年(明治35年)に現在地に拝殿が新築されましたが、1921年(大正10年)に全焼。2年後再建され、「夕張神社」と改称しました。この際、北炭の優良石炭に感謝の念を抱いていた東郷平八郎元帥が北炭関係者に依頼され、揮毫した神額が奉納されました。
1971年(昭和46年)には太宰府天満宮より祭神・菅原道真公が分祀されております。
大山津見神_おおやまづみのかみ
炭山守護・産業隆昌の神
大国主神_おおくにぬしのかみ
開拓・むすびの神
鹿屋野比売神_かやのひめのかみ
商工隆昌の神
菅原道真公_すがわらのみちざねこう
教育の神
夕張市指定有形文化財
夕張神社では、歴史的に非常に価値を持つ3つの市指定有形文化財を所有しております。
登川神社木彫掲額
1894年(明治27年)に出雲大社から登川神社(現・夕張神社)へ寄進されたもので、当時の出雲大社大宮司の揮毫によるものを欅の材にトレースしており、「登川神社」と彫刻され、文字を金箔で貼り付けた額となります。
東郷平八郎直筆の書
北炭の優良石炭に感謝の念を抱いていた東郷平八郎元帥が、登川神社が1921年(大正10年)に焼失し夕張神社として再建する際、北炭関係者の依頼により揮毫し夕張神社に寄贈したものです。北海道と東郷元帥との関係についての記録は皆無に近いと言われており、大変珍しいもので御座います。
欅の大杯
北炭は明治30年代から石川県輪島町の漆業者へ汁器類の注文を続けておりました。その返礼として漆業者が5年がかりで制作し北炭へ贈り、その後北炭から夕張神社へ奉納されたものでございます。直径62.5センチメートル、容量21.6リットル。松竹梅に鶴亀を描いた輪島塗。